校長から生徒の皆さんへ!「挑戦する読書」ー第6回ー

    生徒の皆さん!東京銀座で有名な木村屋のあんパンを知っていますか。明治の初めに誕生したあんパンですが,元祖はここ木村屋です。あまりにも有名ですから知っている人も多いと思います。それでは新宿中村屋のカレーパンはどうですか。クリームパンの元祖のお店ともいわれていますが,現在でもインドカレーといえばここ中村屋が有名です。今でも中華まんじゅうや月餅など全国展開の有名なお店ですが,創業者は「相馬黒光(そうま こっこう)」という女性です。今回は仙台出身,作家で実業家の彼女の伝記です。

 宇佐美 承『新宿中村屋 相馬黒光』 集英社
 
 最近は伝記を読まなくなりました。一昔前は幼少期から偉人伝を手に取り,こんな偉い人になりたいと子供心に思ったものです。エジソンやヘレンケラー,ガンジーやマザーテレサ。日本だったら野口英世や福沢諭吉,田中正造・・・もしくは歴史上の武将たちといったところでしょうか。
 相馬黒光は本名は良(りょう)なのですが,あまりの才能と,激しい性格から「きらめく才気を黒で隠しなさい」と当時の校長からつけられたペンネームだそうです。
 私は学生時代,近代文学の講義で,地元出身黒光の「黙移(もくい)」は当然読んでいるものとして質問され,私の周囲が難なく質問に答えているのを横目で見ながら,古本屋に本を探しに行ったことを覚えています。
 黒光は結婚後,夫とともに中村屋を繁栄させるのですが,その傍ら,絵画や文学のサロンを作り,いまとなっては大変有名な彫刻家や画家を援助しました。有名なのはインドの独立運動のボースらをかくまったり,ロシアの詩人エロシェンコを自宅に住まわせて面倒を見たりと,旧仙台藩士の娘でありながら,キリスト教の洗礼を受け,現在の宮城学院,横浜のフェリス女学院,そして東京の明治女学校の島崎藤村らに学んだ相馬黒光。明治初期,志を持った少女「アンビシャスガール」と呼ばれ,活躍した地元宮城の彼女の人生に触れてみて下さい。                                                                            令和2年6月6日
                                                                             校長 小川 典昭